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「大村純忠」
大村純忠(上)
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大村純忠(上巻)
日本最初のキリシタン大名、大村純忠。長崎開港、少年使節のローマ派遣、うずまく内乱、押し寄せる外敵、激動の時代に大村純忠がめざしたものは何だったのか―。 出版社:葦書房 著 者:橘 正武 料 金:定価 1,360円(税込)
◆目次
養子(1)/南蛮人(30)/元服(60)/初陣(89)/家督(127)/切詰城(154)/復帰(181)/築城(209)/横瀬浦(239)/丹坂(265)/受洗(299)/前夜(338)/内乱(362)/鳥甲城(396)
◆本の中身をちょっと立ち読み…
天文八年(一五三九年)。
この年、正月、勝堂丸は初めて実名を名乗ることを許可されて「純忠」「(すみただ)」と称した。大村純忠。時に純忠、七歳である。 この春、有馬家に芽出度(めでた)き事が舞い降りた。というのも、純忠の実父である有馬 晴純(はるずみ)が、室町将軍から肥前国守護職に任じられたからであった。いわゆる肥前国(長崎県、佐賀県)の長官という役職であった。これは有馬家が正式に室町幕府から大名として認められたことを意味した。 守護職には室町将軍から「屋形号」を称することが許されると共に、網代(あじろ)の輿(こし)、朱柄(しゅへい)の傘、梨地(なしぢ)の持槍、毛氈(もうせん)の鞍覆(くらおおい)が使用を許可される。その披露の宴が原城にてあった。純忠は養父の大村 純前(すみあき)とともにその披露の宴に出席した。 原城の披露の宴は、その頃の有馬家の武威を象徴するかのように、大広間には数百人の家人が列し盛大なものであった。大広間、正面の上段の間には実父の有馬 晴純、長兄の有馬 義直(よしなお)、弟の有馬 右衛門厨(うえもんのじょう)(のち千々石家に養子に行き、千々石 直員)らが居並ぶ。・・・(以下続く)
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